AIは「優秀だけど何も知らない新人」——非エンジニアのためのハーネス設計

「同じChatGPTを使っているはずなのに、隣の部署の企画書はいつも仕上がりが良く、自分が頼むと微妙な出来になる」。心当たりがあるなら、それは質問の仕方が下手なのではなく、AIの働かせ方そのものが違う可能性がある。

エンジニアの世界には最近、この違いを説明する「ハーネスエンジニアリング」という考え方が広まっている。harnessという単語は元々「馬具」だが、さらに遡ると兵士や軍馬を戦場に送り出すための装備一式を指していたらしい。F1のレースカーがエンジンだけ載せ替えても車体や戦略が悪ければ勝てないのと同じで、AIも性能そのもの(モデル)だけを見ていては本当の実力は引き出せない、というのがこの考え方の核にある。

当ブログでは以前、エンジニア向けに入門編実践編を公開した。設定ファイルや検証の仕組みを技術的に掘り下げた内容だ。今回はコードも設定も使わず、PM・企画職・マネージャーの方に向けてこの考え方を翻訳したい。実は多くの読者が、部下や後輩の育成という形で、すでにハーネス設計に近いことをやっている。

なぜ同じAIなのに結果が変わるのか

AIの性能を比べるベンチマークの一つに、実際の作業タスクをどれだけ正確にこなせるかを測るTerminal-Benchというものがある。ここで面白い結果が出ている。同じモデルでも、動かす環境(ハーネス)が変わると成績が変わるのだ。あるモデルは一方の環境で83.8%のスコアを出す一方、別の環境では80.4%まで下がる。別のモデルでも、環境によって83.1%と78.0%という差が出ている。

これは、同じ人材を採用しても配属先の会社によって発揮できる実力が変わる、という状況に近い。優秀な人ほど、配属先の「マニュアルの整備状況」「上司のチェック体制」「使える社内ツール」次第で、実力に数ポイントの差が出る。営業成績やコンサルの提案品質が、本人の地頭だけでなく会社の型・ツール・レビュー体制に左右されるのと同じ構造だと考えると腑に落ちる。

ただし、ここで一つ釘を刺しておきたい。「環境さえ良ければモデルはどれでもいい」という話ではない。ハーバード・ビジネス・レビューが2026年に紹介した調査では、異なるモデルを組み合わせたチームの方が、同じモデルだけを並べたチームより高い成果を出したという結果も報告されている。環境設計の差は見落とされがちだが、採用する人材そのものの選び方にも意味はある。両方大事だ、という前提で読み進めてほしい。

AIを「優秀だけど何も知らない新人」だと考える

ここからが本題だ。AIモデルというのは、知識量だけなら相当優秀な新入社員に近い。ただし、その新人は会社のことを何一つ知らない。誰に承認を取ればいいのか、過去にどんな失敗があったのか、どのフォーマットで提出すればいいのか。そうした「会社側の情報」を一切持たずに入社してくる。

ハーネスとは、この新人を実際に機能させるための環境全体のことだ。入館バッジがあって初めて部屋に入れるように、AIにも「どこまで自分の判断で進めていいか」の線引きが要る。ルールブックも同じで、「この会社のやり方」を渡しておかなければ新人は迷わず動けない。そして自己申告だけで完了扱いにしないことも欠かせない。成果物を本人とは別の目でチェックする仕組みがあって、初めて安心して任せられる。

私自身、AIに何かを頼んで「なんだかズレた成果物が返ってきた」と感じるとき、大抵は指示の言葉が足りなかったのではなく、この「会社側の情報」を渡し忘れていることが多い。指示だけを渡して終わりにせず、動きやすい環境を用意し、途中経過を確認できる仕組みを作り、詰まったときに頼れる相手をあらかじめ決めておく。新人育成でやっていることと、発想はまったく同じだ。

ここまで新人育成の比喩で説明してきたが、一つだけ留保を加えておきたい。ハーバード・ビジネス・レビューの別の調査は、AIエージェントを人間の従業員とまったく同じように管理しようとする発想自体に警鐘を鳴らしている。比喩はあくまで理解の足がかりであり、AIは人間の新人と完全に同じ存在ではない。感情もキャリアの意思もなく、指示された範囲でしか動かない。この違いを忘れて「新人だから察してくれるはず」と期待しすぎると、逆にズレが大きくなる。

選択肢を絞るほど、新人はよく動く

新人に仕事を任せるとき、選べる道具や手順を最初から全部見せるとどうなるか。多くの場合、迷ってしまって手が止まる。これはAIでも同じ現象が確認されている。ある企業がAIエージェントに使わせるツールの数を15種類から2種類に絞ったところ、成功率が80%から100%に上がり、作業時間もおよそ3.5倍速くなったという実験結果がある。

これは心理学の世界でよく知られる「ジャムの法則」と重なる構造だと筆者は捉えている。かつて行われた有名な実験では、試食コーナーに24種類のジャムを並べた場合の購入率は3%だったのに対し、6種類に絞った場合は30%まで跳ね上がったという結果が出ている。この実験はスーパーの試食売り場についてのものでAIエージェントを対象にした研究ではないが、選択肢が多いほど「どれが正解か」の判断コストが増えて選べなくなるという構造は、人間の買い物とAIのツール選択で驚くほど似ている、というのが、あくまで筆者個人の解釈だ。

新人に「なんでも自由に使っていいから、いい感じにやっておいて」と道具を渡しすぎるより、「今回はこの2つの手順だけ使ってやってほしい」と絞ったほうが、新人は迷わず動ける。AIへの依頼も同じで、あれもこれもできる汎用的なツールを一度に渡すより、その仕事に必要な最小限の手段だけを渡すほうが、結果として速く正確に仕上がる。

丸投げではなく「企画・実行・検証」で任せる

もう一つ、非エンジニアの実務感覚に直結する実験がある。あるAIエージェントにレトロゲーム風のアプリを一人で丸ごと作らせたところ、20分・9ドルで完成はしたが基本機能すら動かなかった。一方、企画(何を作るか決める役)・実行(手を動かす役)・検証(基準を満たすかチェックする役)の3つに役割を分けて同じ作業をさせたところ、6時間・200ドルとコストは20倍近くかかったが、きちんと動く実装が出来上がった。

この数字は当ブログの過去2回でも紹介したものだが、非エンジニアの目線で見ればプロジェクトマネジメントの発想そのものだ。優秀な一人に丸投げするより、企画・実行・検証を分業したチームのほうが、時間とコストはかかっても完成度の高い成果物が出る。丸投げが悪いのではなく、役割を決めずに一人に全部背負わせることが失敗の原因だ。

余談だが、この「役割分担で品質を再現性高く担保する」という発想は、製造業でいう治具に近いと筆者は感じている。治具とは、同じ工程を誰が担当しても同じ精度で再現できるように部品を固定しておく道具のことだ。ハーネスをこの治具になぞらえる説明はあまり見かけないが、これは業界で確立した言い換えではなく、あくまで筆者個人の捉え方として書き添えておく。

今日からできる、AIへの頼み方

考え方を理解しただけでは仕事は変わらない。今日、次にAIに何かを頼むときに、依頼文の最後にこの一文を足してみてほしい。「提出前に、抜けている情報や矛盾がないか、あなた自身で一度チェックしてから出してください」。たったこれだけで、新人に「提出前に見直してね」と一言添えるのと同じ効果が生まれる。AIに“検証”という役割を一つ追加したことになるからだ。

依頼の冒頭に「誰のために」「何のために」を一文添えるのも効果が大きい。新人が仕事の目的を知らないまま作業するとズレた成果物が出てくるのと同じで、AIも目的を知らないまま作業すると、方向性がズレた提案を返してくることが多い。「この資料は来週の役員会議で使う。数字よりも意思決定の根拠を重視してまとめてほしい」のように、背景情報を一文添えるだけで成果物の質が変わる。

この記事は非エンジニアの方に向けて書いたが、エンジニア・EMの方がチームの非エンジニアにハーネスの考え方を説明するときにも、そのまま使えるはずだ。「ハーネスとはAIを縛るブレーキではなく、優秀な新人の力を成果に変える仕組みだ」という一言さえ伝われば、あとは新人育成の話に置き換えるだけで十分に通じる。

AIの結果にムラを感じたら、AIモデルそのものを疑う前に、自分がどんな「配属先」を用意しているかを振り返ってみてほしい。優秀な新人にどんな環境を与えるか。その設計判断は、あなたが日常業務ですでに何度もやってきたことだ。

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